大阪高等裁判所 昭和62年(う)694号 判決 1988年9月20日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役八月及び罰金三〇万円に処する。
原審における未決勾留日数中三〇日を右懲役刑に算入する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人北薗太作成の控訴趣意書(ただし、公訴権濫用の主張に関する部分を除く。)及び同補充書記載のとおりであるから、これらを引用する。
第一 控訴趣意中、原判示第二の所為が商標権の侵害にあたらない旨及び被告人には犯意がない旨の主張について
論旨は結局、原判決は判示第二の事実として、被告人が昭和六一年一月二四日ころ京都市南区久世中久世町五―一三九先路上において同判示偽サントリー・リザーブ約八〇〇本をAに有償譲渡し、もって同判示各商標権を侵害した旨認定判示しているが、被告人の右所為は商標権の侵害にあたらないうえ、被告人には商標権侵害の犯意がなかったのであるから、これらをいずれも積極に認定した点において、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りないし事実の誤認があり、破棄を免れない、というのである。
そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討したうえ、以下のとおり判断する。
一、本件の経緯
所論に対する具体的判断に先立ち、被告人が原判示の日時・場所において原判示偽サントリー・リザーブ約八〇〇本(以下「本件ウイスキー」ということがある。)をAに譲渡するに至った経緯を、原判決挙示の関係証拠及び当審事実取調べの結果により認定すると、おおむね次のとおりである(ちなみに、被告人の右の譲渡の所為自体は所論が争わないところであり、以下「本件所為」ということがある。)。
1 被告人は、原判示のとおり、特級ウイスキー「サントリー・リザーブ」の空瓶に二級のウイスキーを詰め、サントリー株式会社がウイスキー等を指定商品として登録した商標「向獅子マーク」及び「SUNTORY」と類似する商標を打刻したアルミキャップで閉栓した偽サントリー・リザーブ四五九六本を製造した事件(商標法違反)で昭和五七年一二月津地方裁判所において懲役一年四月に処せられ(同五八年六月確定)、同五九年一月刑の執行を終えた。
2 津地方検察庁検察官は、右事件の証拠品として偽サントリー・リザーブ約一六〇〇本を押収・保管していたが、これにつき没収の言渡がなされなかったので、所有者である被告人にこれを還付することとしたものの、このまま還付すれば再び同種犯罪に供されかねないことを懸念し、同五九年二月ころ同庁検察事務官をして被告人に電話で所有権の放棄を求めさせた。これに対し被告人は、中味(サントリー・レッド)は自家で使いたい旨を強調して所有権放棄を拒否し、還付を望んだ。
3 その後、検察官の指示を受けた同庁検察事務官からアルミキャップを開栓してウイスキーを返還する旨伝えられたが、これには被告人が中味のウイスキーの気がぬけるとして異議をとなえ、結局同年三月被告人はアルミキャップ上面の「向獅子マーク」をつぶし、ウイスキー瓶に貼付されたラベルをはがして開栓しないままウイスキーを還付する旨の検察庁側の提案を受け入れ、これらの措置を承諾する旨の書面を同庁あて差し入れた。
4 同年五月被告人は右のような経緯で、原判示のとおり、アルミキャップ上面にヤスリで×印を付し、ラベル及び首巻きシールを不完全に剥離し、瓶に白色ペンキで「偽造」と表示された偽サントリー・リザーブ約一六〇〇本の還付を受けたのであるが、アルミキャップ上面の「向獅子マーク」及び「SUNTORY」の表示は、×印の存在にもかかわらずこれを容易に読みとりうる状態のものであった。
5 そして被告人は還付されたウイスキーを妻が経営するスナックで(中味を)用いたり、贈答用に使ったりしていたが、置き場所に窮したところから、昭和六一年一月二四日ころ残り約八〇〇本を還付を受けたときの前示形状・外観のままAに有償で譲渡し、その際、ウイスキーは偽物だからリザーブとしては処分できない旨を伝えた。
二、被告人の本件所為が商標権の侵害にあたらない旨の所論について
所論は、被告人は津地方検察庁検察官から還付されたままの状態で本件偽サントリー・リザーブをAに譲渡しているところ、還付の際右ウイスキーのアルミキャップ上面及び瓶には前示のような変形・損壊が加えられており、これによりアルミキャップ上面の「向獅子マーク」ないし「SUNTORY」の各商標はすでにその機能を失うに至っているから、被告人の本件所為はもはや商標権を侵害するものとはいえない(構成要件不該当)と主張するのであるが、当審で取調べた鑑定人小野昌延作成の鑑定書及び同人の証言中に示されている所見にかんがみると、アルミキャップ上面の右各商標が、ヤスリで打刻された×印の存在にもかかわらず容易に読みとれるものである以上、これらは依然商標として機能していると解すべきであり、また、ラベル及び首巻きシールが不完全に剥離され、瓶に白色ペンキで「偽造」と表示されていても、これによってアルミキャップ上面の右各商標に偽造と表示されたのと同一の効力が与えられたとも解せられないから、本件所為が商標権の侵害にあたるとした原判断に誤りはない。所論は採用できない。
三、犯意を欠く旨の所論について
所論はまず、被告人においては、本件ウイスキーに加えられた前示の変形・損壊によりアルミキャップ上面の前示各商標はすでにその機能を有しないものと誤信していたか、あるいは「商標」権侵害にあたる意味での商標であるとの認識を欠いていたものであるから、本件所為につき被告人には(事実認識としての)犯意がなかったと主張するが、被告人は還付を受けた本件ウイスキーのアルミキャップ上面の「向獅子マーク」及び「SUNTORY」の表示が、ヤスリによる×印の打刻にもかかわらず、いまだ容易に読みとりうるものであることを認識するとともに、その表示の意味内容がサントリー株式会社の登録商標に類似したマークであることの認識にも欠けるところはなかったのであるから、被告人の(事実認識としての)犯意の存在に疑いをいれる余地はなく、所論がいうところは、次に検討する違法性の認識に関する主張に帰するものと解せられる。
すなわち、所論は次に、被告人は、前示の理由で本件所為が商標法にいう「商標権の侵害」にあたらないと考えていたから、違法性の認識を欠如し、かつ、本件ウイスキー還付に至る被告人と津地方検察庁係官とのやりとり等の経緯に照らすと、右認識の欠如にはこれを正当とする「相当の理由」が存したと主張する。
そこで検討するのに、確かに被告人としては、本件ウイスキーをサントリー・リザーブとして市場に売却等すれば、再び商標法違反にあたる旨の認識は十分存したものの(したがって、本件ウイスキー還付の経過の中で被告人はこのような行為に出ないことを検察事務官に確約している。)、所論のようにこれを還付を受けたままの状態で、しかも、中味がサントリー・リザーブではないことを明示して他人に譲渡する限り、同法違反にあたらないと考えていた節が濃厚であるといわなければならない。このことは、被告人が捜査段階から当審まで繰り返し一貫して述べているところであるし(たとえば、検察官に対する供述調書中では、「検察官が市場に通用しないようにと思ってキャップに×印をわざわざ付けてラベルもシールもはがしてボトルに白ペンキで偽造と書いて返してくれたのですから、そのままAを介してBに渡したとしてもサントリー株式会社の商標を勝手に使用したということにはならないだろうと考えたのです。」と当時の心境を述べている。)、前認定の本件の経緯に徴しても、所論がるる主張するとおり、被告人において右のように考えていたと解することがより自然で事態に相応していると考えられるからである。そうすると、被告人には本件所為につき所論のごとく自己の行為の許されないこと、すなわち違法性の認識を欠如していた疑いがあることを否定できないので、進んで、その認識を欠くについて「相当の理由」があったかどうかを検討するのに、右の「相当の理由」があるといえるためには確立した判例や所管官庁あるいは刑罰法規の解釈・運用を職責とする公務員の責任ある回答ないし言明に従った場合又はこれに準ずるような場合をいうものと解されるところ、本件においては、被告人は刑罰法規の解釈・運用の実務にあたる前示津地方検察庁係官とのやりとりを通じて右のような考えを持つに至ったと認められるものの、前認定の還付の経緯によってうかがわれるごとく、被告人は還付を求める理由として専ら自家でウイスキーの中味を利用したいという点を強調し、本件所為のような形での譲渡を全く表面に出しておらず、それ故、同庁係官からは、本件所為のような譲渡であっても商標法に違反する旨明示の警告を受けていないのであるが、さりとて本件所為のような譲渡であれば同法に違反しない旨の確答を得たわけではないし、また、本件ウイスキーに前示の変形・損壊が加えられたことによって有効な商標でなくなった旨言明されたわけでもないのである。してみると被告人は、同庁係官との本件ウイスキー還付についてのやりとりを通じて本件のような譲渡行為が商標法に違反しないとの認識をもったとはいえ、それはあくまでも同庁係官の責任ある回答ないし言明によりそのような認識をもつに至ったものではなく、単に自己の接触した感触等から安易にそのように軽信したにすぎないものというべきである。
もっとも、被告人の当審供述によると、被告人は前示のように同庁係官から本件ウイスキーを還付されるにつき、事前の連絡ではアルミキャップ上面の「向獅子マーク」等をつぶして返すと聞かされ、文字どおりこれを損壊して使用不能にされるものと推測していたのに、還付を受けるにあたり当該ウイスキーを見たところそのキャップの同マークの上面に単に×印が打刻されているだけにすぎなかったので、係官に「これでいいのか」と問いただしたところ、「これでいいんだ」とのことであったからその言を信じ、右程度の損壊でも他の変形・損壊と相まって十分商標としての効用を抹殺されている、すなわちこれを使用しても商標法違反となるものではないと確信したと言い、所論もるるその点を強調するのであるが、前示のように被告人は本件ウイスキーの還付を求めるにあたりこれを第三者に有償譲渡するなどということは一切言っておらず、専ら中味のウイスキーを自家消費する旨告げていたにすぎないのであるから、仮に還付係官が右のように「これでいいんだ」と返答をしたとしても、その趣旨はあくまでも自家消費を前提としてのものであり、本件のごとく更に進んでこれを他に有償譲渡しても違反とならないかどうかをただすことのなかったものであって、この程度の簡単な問答をとらえ所論のように係官から本件譲渡について商標法違反とならない旨の確言ないし示唆があったとすることはできない。そうすると、還付ウイスキーキャップの「向獅子マーク」等の損壊状態を一見して、これをそのまま使用する(有償譲渡等)と商標法違反となるのではないかを危惧したという被告人においては、そのことを明示して前示係官にその疑問をただし、責任ある係官の回答を得て行動をするべきものであったのであり、また、その機会は容易かつ十分に存したところでもあるから、その挙に出ることなく、安易に前示のとおり軽信した被告人に、所論のように本件所為を行うにあたって違法性の認識を欠くにつき「相当の理由」があったということはできない。
その他の所論にかんがみ更に記録及び証拠物を調査し、当審事実取調べの結果を検討しても、右判断を覆えし、所論にいう前示「相当の理由」の存在を認めるに足りる証拠はない。所論は採用できない。
以上のとおりで、原判示第二の事実につき原判決には所論指摘の誤りはなく、論旨はいずれも理由がない。
第二 控訴趣意中、量刑不当の主張について
論旨は、原判決の量刑は重きにすぎて不当である、というので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、本件は、暴力団組長である被告人が配下の組員数名と共に早朝他の暴力団組長宅に赴き、原判示第一の経緯からこもごも同人の顔面等を多数回にわたり殴打あるいは足蹴りにするなどの暴行を加え、同人に肋骨骨折を伴う加療約一か月間を要する重い傷害を負わせたという事案(原判示第一)及び前示のとおりの偽サントリー・リザーブ約八〇〇本を有償で他人に譲渡してサントリー株式会社の有する商標権を侵害したという事案(同第二)を内容とするものであるところ、右傷害の犯行は、その罪質、動機、態様、被害の結果等に照らし悪質な事案というべきであることに加え、被告人が右犯行の主導的立場にあったことや同種前科を多数有するなどの事情に徴すると、被告人の犯情及び刑事責任は相当重いと考えられる。また、商標法違反の犯行は、同法違反による服役後再び犯されたものであることや暴力団組員を介して多量の偽サントリー・リザーブを市場に出まわらせる原因となったなどの事情に徴すると、これまたその犯情及び刑事責任を軽視しがたいというべきである。してみると、被告人に対し懲役一年の刑を科した原判決の量刑もあながち首肯できなくはない。
しかしながら、ひるがえって考えてみると、商標法違反の犯行については、前示のような経緯があって被告人が違法性の認識を欠如していた疑いが存し、これを欠如するにつき「相当の理由」がないから被告人においても有罪を免れないものの、その犯情及び刑事責任を考えるにあたっては、この点に相応の評価を与えるべきであることに加え、本件ウイスキーが結果的には偽サントリー・リザーブとして市場に出まわった事態についてまで被告人がこれを予知・予見していたとは断定できないから、右の事態を重視して被告人の犯情及び刑事責任を重しとするのにも一定の限度があることや、本件ウイスキーの代金は結局回収されず被告人は本件所為によって不法な利得をあげないままに終ったことなど所論指摘の被告人に有利な情状を勘案すると、商標法違反の所為につき懲役刑を選択した点において原判決の量刑は酷にすぎると認められる。論旨はこの限度で理由がある。
第三 結び
ところで、原判決は、右商標法違反の罪と傷害の罪を併合罪として一個の刑で処断しているから、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を全部破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所において更に判決することとし、原判決が認定した罪となるべき事実にその挙示する法条を適用し、原判示第一の所為については所定刑中懲役刑を、同第二の所為については前示の理由で所定刑中罰金刑を選択し、原判示の累犯前科があるので懲役刑につき原判決挙示の法条により累犯加重をし、以上は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四八条一項により前示懲役刑と罰金刑を併科することとし、その所定刑期及び金額の範囲内で、傷害の罪について存する前示の事情及び被告人が被害者に金一〇〇万円を支払ってその宥恕を得ているなど所論指摘の情状をも勘案し、被告人を懲役八月及び罰金三〇万円に処し、原審における未決勾留日数の算入につき原判決挙示の法条を、労役場留置につき刑法一八条を、当審における訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官石田登良夫 裁判官角谷三千夫 裁判官石井一正)